ねば塾

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今日できることは明日やろう
失敗は他人のせい

文責>平田はる香 写真>若菜紘之 編集>鈴木誠史


忘れられない経営者

忘れられない経営者の方がいる。ねば塾の創業者、故 笠原愼一さんである。わざわざの創業は2009年2月で、当時はパンの移動販売のみだった。2009年9月に自宅店舗をオープンする際に、以前から愛用していたねば塾に伺って仕入れをさせていただいた。その時、お話させていただいたことが自分の後の経営観に深く影響を及ぼしたことは間違いない。

ねば塾

ねば塾は1978年2月、障がい者福祉施設から二人の方を引き取って、障がい者の経済的自立を目指して産声をあげた。笠原さんはサラリーマンを経た後に福祉施設で働くようになり、その後ねば塾を設立している。2009年にそういったストーリーをご本人の口からお伺いしながら、工場を見学させていただいた。

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一般的な福祉施設は行政からの補助金を受けて設立されており、施設にいる方は保護保証の元に生活が成り立っている。ねば塾が大きく違うのは、心身にハンディのある人々が望むごく普通の暮らし「自ら働き、その収入で暮らす」といった形態をサポートしていることである。つまり、ねば塾はいわゆる会社の形態だ。従業員としてハンディのある人々を雇い、給料を渡し、普通に生活ができるようにサポートし続けている。この様子に本当に衝撃を受けたのだった。

外部からの見え方としては、ねば塾は石鹸会社となっている。福祉の側面を知らずに単純に石鹸の質がよいことでOEMの注文が舞い込んできたりということも多いそうだ。これは社会的に自立しているということでもあるだろう。

どうして石鹸づくりというツールを選んだのか?と聞くと、笠原さんは学生時代から化学が好きだったことと生活消耗品であることを挙げてくださった。「好きな分野でものづくりに取り組めば楽しく仕事ができる」ということが心に刺さった。そして、生活必需品であり、消耗品であれば、ユーザーは気に入ってくれさえすれば何度も何度も繰り返して購入してくれる可能性がある。

社会的に意義があること、好きなこと、消えちゃうということ、製品の質がよいこと、必需品であること。パンもそうだなと思ったのと、自分もお店をやっていく上でこの考え方は忘れないようにしようと感じたことをよく覚えている。

あれから12年

2021年6月、あれから12年が経過した。今度は、笠原愼一さんの息子さんであり、意思を継いだ代表取締役の笠原道智さんにお話を改めて聞きに伺った。社会情勢も刻々と変わる中で、ねば塾は今何を考えてどのように進んでいるのか、お話を聞いてみたいという思いが強くなった。

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はじめましてと挨拶しつつ、久々に訪れたねば塾の室内の雰囲気がだいぶ変わったことに驚いた。なんだか明るくてきれいになって整っている。失礼だなと思いながらそんなことを伝えてみると、道智さんが代表になってから少しずつ業務を見直してきたということであった。製品の原価率をきちんと出して商品価格に反映したり(それでも、ねば塾の製品は全体的に製品の質に対して、異常と言っていいほど割安である)、作業環境を整えたりコツコツとできることを行ってきたそう。食べていければいいやという先代のスタンスを受け継ぎつつも、改善を積み重ねている。

現在、ねば塾では健常者と障がい者が入り混じって34人が働いている。障がい者の割合は凡そ6.7割で、通ってきている方々が10人ほど。その他の方々は、現在ねば塾が運営している工場と隣接したグループホームで暮らしながら、日中は工場に出勤して働いている。また、この6年ほどで精神障害の方が増えているということだった。

自分たちでできることをやる

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ねば塾は拒まない。来るもの拒まず去るもの追わず。他の会社でうつ病になって働けないという方をできる範囲のところからと受け入れていったり、旅をしている最中にお金がなくなってねば塾に辿り着いて働くケースなど、とにかく万人を受け入れる例が多岐に渡っていてすごい。

道智さんは「世の中でうまくいかない人がねば塾に辿り着く」と言う。そして、働いているうちに気が軽くなり、健康になって社会復帰していくケースも多々あるそうだ。駆け込み寺のようになっても面白いと道智さんは笑っていた。

気になるのはその働き方である。会社という性質上、利益を出していかないと続いていかないのだが、ねば塾は創業から44年が経過し事業が継続されている。健常者、障がい者、流れ者など多種多様な人たちが一緒に働くということは、どのようなしくみで成り立っているのかがとても気になった。

一番大事なことは「自分たちでできることをやる」ということで、特にどのような仕事をどのような方に振るということはしていないそうだ。

基本的に、ここにいる人たちにやりたいことはない。この子がいるからどんな仕事ができるかな?という視点で仕事を考えることもあると言う。こんなことができそうかな?と考えて、無理そうだなとなったら、他の仕事を作ってあげる。徹底的に個人の特性を見て、フィットする仕事を一緒に探してあげるというシンプルなしくみであった。

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例えば「元ちゃん石鹸」は、この子でないと焚けないという製品であったという。ゆったりと攪拌しないとできないという特性を持った石鹸で、ずっとゆったりと攪拌し続けて苛性ソーダを入れるタイミングを見極めていかないといけない。

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とうめい石鹸に使うMPソープは原料として販売しているが、仕入れ時には、石鹸の大きな円柱のような状態である。それを一人の方が黙々とカットしていた。自閉症の特性の一つのこだわりが、大体同じ大きさにカットできることに繋がっているのかもしれないと道智さんは言う。

他の人がやるとどうしても大きさが揃わないことが多く、端数が沢山出てしまう。これは彼にしかできないことであって、取引先から指名されているとのことだった。このポジションを見つけるまで、様々なことをやってもらったがどうしてもうまくフィットせず、これをやるようになってから安定したそうだ。

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仕上がった石鹸の角には、バリがある。切ったままだと石鹸の端は少し切り立っている。その部分を手作業で丁寧に取り、パッケージングする。一つ一つの工程に人の手が入ることで、品質が向上していく。ねば塾の石鹸はその品質の良さから、OEMも全国様々な企業から依頼が絶えない。

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新製品のゲル状の洗顔石鹸。製造用の機械はホームセンターにあるもので作ることもあるそうだ。自分たちで作れる範囲のものは、自分たちで直すことができる。時々、癇癪を起こして器具や家財を壊してしまうことがあるので、大概のものはホームセンターで繰り返し買えるもので自分たちで作ってやりくりすることを基本にしている。

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一つ一つ、計量してパッケージング。丁寧に丁寧に皆さんで協力して仕事をされていた。

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白雪の詩のパッケージを担当されている方は、どんなに忙しくても忙しくなくても、一日に1200個をパッケージングする。それを周りの人は受け止めて、それが彼のできることになっていく。

もしかしたら機械化できることなのかもしれない。だけど、ねば塾は効率化や収益化を目的にしていない。人に合わせて仕事さえも作っていく。働いてお金をもらって生活するということができれば、社会と分断しないで生きていくことができる。仕事があるということが人生に張りを持たせ、人をイキイキとさせるのだなと、工場を見学させていただきながら改めて感じたのだった。

今日できることは明日やろう
失敗は他人のせい

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ねば塾の塾訓は衝撃的である。障害がある人に対して、事を急がせたりするとよいことは起こらない。なので、個々のペースで余裕が持てるように「今日できることは明日やろう」。失敗したことで本人を責めてもよいことはない。だから「失敗は他人のせい」。これらのことが人を萎縮させずに自信と誇りを育てる基本であると、道智さんは言う。

自分たちで各自が責任を持って任されるというのが、自信に繋がる。これまで勤めた会社で嫌がられていた特性も、ねば塾に来れば大丈夫かもしれないと思わせてしまうのが本当にすごい。

道智さんの話を聞いていて、一番感心してしまうのはその懐の深さであるが、それは先代が引き取ってきた精神障害の重い子と2年間ほど一緒に暮らしていたことなど、幼少期の体験に由来しているのかもしれない。お話を伺っていると「許す」という概念すらないように感じた。最初からフラットで区別が全くない。健常者、障がい者という枠はこちらが作っているだけで、そういう問題はないものだという感覚に陥ってしまう。

多くの企業は成長を目指して売り上げや利益をお金で追い求めてしまう側面がある。道智さんは「もしかしたらねば塾の活動は、新しい発展の形かもしれない」とおっしゃっていた。お金や利益を求めるのではなく、みんなで集まって楽しくやること自体が仕事の目的になって、成長を目指さないことが世の中の理想とする形なのでは?と。

最近の社会問題として、許容値の狭さから起こってしまう痛ましい事件がある。ねば塾は、現代の世の中にとって大切なことを教えてくれる稀有な存在だ。

改めて活動の意義を知り、本当に勉強になりました。これからもよろしくお願いいたします!

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